良心
良心というものは、それぞれ個人の中にあって、社会がそれ自体を保持するために発展させてきた法則の番人なのだと、と私は思う。われわれがその法則を破らないように見張るために配置された、われわれの心の中の警官である。自我という中央のとりでに座をしめたスパイである。人が仲間から是認されたいという欲望は、ひじょうに強く、人から非難されるのをこわがる気持ちは、ひじょうに激しく、それだから、自分で敵を門の中へおびき入れてしまっているのだ。
『月と六ペンス』(モーム)
(『一日一文 – 英知の言葉』1月25日分)
これと関係のある文章を昔書いたので載せましょう。
あることががいけないことだとされる共同体社会において、そのことが本人にとっての快楽に繋がり、また本人の意識においてそのいけないことが行動を規制するほどの効力を有さないとき、その共同体社会にそのいけないとされることをやったということが知られないのならば、そのあることは個人の精神のうちにおいてはいけないことではないのであり、よって共同体社会における規範が個人に対して永続的に規範たる根本義を認識させるようなものでないならば、その行為は事実上規制される正当な理由はなく事実上規制できない。(2007/10/02(Tue))
ちなみに、宮台によれば<道徳>と<良心>とは区別され、<道徳>とは「世間の監視の目」、<良心>とは多くの宗教に見られるような「個人の内部にある善悪の判断基準」(こっちは曖昧^^;)だそうです。
