2007-12
「喧嘩できる」という感覚
喧嘩するほど仲が良いとは思いませんが、「喧嘩できる」という関係は深いと言って良いのではないでしょうか。
喧 嘩の定義にもよりますが、一方的な罵倒や暴力にまで至らない、いわゆる双方の過激な主張と考えると、確かに「喧嘩できる」という無意識の安心感がなければ 喧嘩はできません。でなければその一回の喧嘩で別れることになってしまうかもしれないからです。(まぁ、実際は片方が信頼の深さを勘違いしてたせいで別れ るということも大いにありますが笑”)
しかし、初めからなおざりな関係にしか思っていなかったり、あるいはその喧嘩の要素(相手の言動)で「ああ、こいつはもういいや」と思えてしまう程度の関係だった場合、一応喧嘩はできますが「喧嘩しても平気」とか「喧嘩できる」という感覚とは違います。
近 年のグローバリゼーションによる流動性の高まりによってさまざまな人間への遭遇率が上がることにより、身近な人(であるはずの人)の唯一性が薄れます。友 達もスペアがいるし彼女・彼氏も(妻や夫でさえも!笑”)いくらでも替えがいる。こういう状況になると、上のような喧嘩をしたら終わりのような関係しか持 てない人が増えます。つまり相手も交換可能であるが自分も交換可能であることを知っている。だから深い関係になることへの無意識的な不安があります。一方 でそういった交換可能な状態になりたくないと思って擬似的な唯一性を保証しようとする人間もいます。学校でKYにならないために話を合わせて所属による承 認を得る、というようなものですがこういう現象も増えています。またこれらとは違い、話し合わせのための会話や希薄な関係というのに耐えきれず濃密な関係 (唯一性)を得たいと奮闘する人もいますが、こういう人は流動性の高まった社会ではKYというジレンマがあって(笑)、疑心暗鬼が広がるという現象が世界 的に起きているという背景があります。
個人レベルに限局すれば、宮台の「期待値」と「願望値」という考え方で捉えることができ ますが、そこにさまざまな「意味」というものを付随させて観念的にしていくと(この傾向は三番目のタイプに多い)、自己解釈の極みのような観念ができあが り事態はより悪化に向かっていくことが多いので、そうならないように気をつけるのが肝要ではないでしょうか。(笑)
オダギリジョー・香椎由宇の結婚
- 2007-12-28 (金)
- 思ったこと
予想ですがなんとなくこの二人は長く続かない気がします。もって7年。あくまで予想ですが。(笑)
メーラをThunderbirdにしました
メーラをThunderbirdにしました。理由はただ自動改行をさせたくないと思ったからです。(携帯などに対しては自動改行は迷惑です)
ところがFxとは違ってTbはそれほど画期的なソフトではなかったので、途中で正直OEに戻そうかと思いました。理由は
- 件名なしで送信しようとすると、いちいち確認ダイアログが出て、おまけに件名を入れないときの規定値が「(件名なし)」なんていうマヌケなものであったこと。
- OEにある、ダブルクリックするだけで宛先を指定できるアドレス帳がなかったこと。
です。 しかも、Tbまで「自動改行する」にチェックがない(強制的に自動改行する)というとんでも設計!さらには、アカウント設定をアカウントごとに行わない(SMTPとPOPを分けて設定する)という、OEに比べたら非常に分かりにくい設定になっています。
しかし、調べていくうちにこれらはそれぞれ次のような方法で解決できました。
- 「件名なし」…拡張機能をインストールする
- 「アドレス帳」 …Add-onをインストールする
- 「自動改行」…「プレーンテキストメッセージを(L)***文字で改行する」の***を「0」に設定する
- 「SMTP」…「ツール>アカウント設定>送信(SMTP)サーバ」から設定する
さ らに、起動時のスタートページが、2.0.0.0系からはMozillaのサーバ上を参照するようになったのでやけに遅くなってます。これがうざいので、 オプションのスタートページのURLを「chrome://messenger/content/start.xhtml」にするといいでしょう。起動の 早さが変わります。
はじめて乗り換えをするのは大変ですが(アドオンなどを探すのが大変だから)、こういうふうに示されれば設 定自体は難しくないので、この記事を見た人はこの機会に乗り換えてみるのも悪くはないかもしれません。(ただし、上記の通りFxほど画期的では全然ありま せん。どうしても自動改行したくない!という人向けです(他にもメーラはたくさんありますし))
(追記)
上記の「自動改行」についてはここを 参考にしたのですが、これは嘘八百でした。実際は「0」に設定しても改行しないなんてことにはならず、初期値の「72」が反映されることになります。これ の解決手段としては文字数に「276447231」を設定することです。これが最大値で、いくら何でもこれより長い文字列を改行せずに送ることはあり得な いでしょう。(携帯ではauは約10000文字が最高ですから) と言いたいところですが、なんとどんな値を入力しても72字(全角36字)で改行されます。これはちょっとひどい…。解決手段を見つけたら載せます。(解 決できなければTbに乗り換えた意味がない!)
ちなみにTbには、当日(閲覧しているときの日付)に届いたメールに関しては「送信日時」の「日」が表示されない、というふざけた機能までありますが、これはこのサイトからアドオンをインストールすることによって解決可能です。
(>追記 )
分かりました!これは日本語のとき限定で起きる現象で、どうやらバグではないようです。
IETFの公表したformat=flowedに関しての仕様(RFC2646)だけでは日本語など、単語と単語のあいだにスペースを入れない言語においてはこの仕組みが実現不可能です。そこで、DelSp=Yesという仕様(RFC3676) がIETFによって公表されました。ところが、これをサポートするメーラはまだあまりない(Tbもまだサポートしてない)、というのが現在の問題のようで す。Tbが早くサポートしてくれるのを待つしかないでしょう。(ただし、format=flowedとDesSp=Yesの設定の場合、英語と日本語の文 が混在した文章のときに問題があるかもしれない、ということでTbではもう採用しないことに決めたのかもしれない。)
しかし、 Tbはまだ問題があって、この「***文字で改行する」という設定自体が何の意味もなしません。プレーンテキストにしろHTMLにしろ、設定を「50」に したとしても英文であろうと和文であろうと全く反映されず、我豈設定などに関せんやといった感じです。なので、この設定項目は全くのお飾りで、まったく もって無意味です。
ただし、自動改行されない方法は見つけました。送信形式を必ずHTMLになるようにするのです。ただし!なんとこれは携帯で受信できない(少なくともauでは)という本末転倒が起こってしまうため何の意味もありません。結局Tbにするのはほとんど無意味ですね。
(これらの記事に間違っているところがあったらごめんなさい。気づいた方はコメントなどで教えてください。よろしくお願いします)
参考資料
Mozilla-gumi Forum 14221
Bugzilla-jp – Bug 2976
改行の怪 – Justice
この問題に関しての秀逸な文章(Wikipedia風)
[7] 文字数と行数
(>>追記)
mozillaさま、puramuざつがくさま、すみませんでした!m(≧≦)m(笑) 僕の浅はかな勘違いで文句をズバズバと書いてしまいました。
DelSp=Yesをサポートしてないかどうかは別にして(してるかどうかは分かりません)、プレーンテキストのメッセージの作成方法が二つあることが問題でした。Tbにはプレーンテキストの作成方法が次の二通りあります。
- HTML のメッセージを作成して、それをテキストに変換してから送る
- プレーンテキストのメッセージを作成して、それを送る
こ の1. の方法(つまり、作成中にオプション>書式>プレーンテキストとやる方法)を取ると、HTMLからプレーンテキストへの変換時に、自動的に改 行が入ってしまうのです。そこで、初めから、「アカウントの設定>編集とアドレス入力>HTML形式でメッセージを編集する」のチェックを外 しておかなければいけません。(※注意 ただし、1 行の長さが 990 バイトを超えると、Bugzilla-jp Bug 4325の「長い行の自動改行を無効にしていると文字化けする」という現象が起きますから、安全を見て、「950文字」くらいに設定しておくのが良いでしょう(半角1文字は1バイトを超えることがあります))
さて、……、まぁ、確かにできるにはできますが…、ちょっとわかりにくすぎると思いませんか?Fxはだいぶユーザ視点的なソフトになってきましたが、Tbは自分で解決できる能力のない人にとってはまだまだ敷居が高い気がします。
ちなみにOE関連はここ
Windows XP Service Pack 2 適用後、Outlook Express で折り返し設定が有効にならない
年賀状
- 2007-12-24 (月)
- 文学・日本語
日 本郵政グループが、「年賀状を1月1日に確実に届けるには12月25日まで」と言っていますが、年賀状は本来年が明けた後、自分自身の年明けのすがすがし い気分を文に記して(気文一致=言文一致からの吉田望の造語)送るものだったそうです。ある人に聞いたのですが、漱石の何かの小説にそういうことを言って いる文があるそうです。僕がいままでに読んだ漱石の本にはそういった記述はなかったと思うので、まだ読んでいない小説にあるのでしょう。いずれその本に出 会うと思います。
MIYADAI.com > 山本七平
- 2007-12-23 (日)
- 思ったこと
こ の頃、妙に僕の好きな人たち(宮台や姜尚中など)同士がコミットしあってるという驚きを感じる。宮台と姜尚中は社会学者だから普通に考えれば当然といえば 当然だし、当たり前といえば当たり前なのだが、そもそも先に二人に関連があったことを知っててそれぞれのことを調べだして好きになったのではなく、全然別 のことで知った二人がたまたま図書館で借りた本に共著として(それもこの頃MIYADAI.comに宣伝として出された『挑発する知』などではなく、水木しげるやその他五、六名が共著で執筆したもの)載っていたのだ。
僕 が宮台を知ったのは『この世からきれいに消えたい』という本で、この中に出てくるSと同じように、僕も漠然と抱いていた無意味感や不安感みたいなものが明 確に記されていて宮台という人間に興味を持った。何より知識が広いのと、ただの知識も多いが経験を積んだものも多いというところに惹かれた。論理性も高く 炯眼もあり、ときどき現れる自己矛盾(多くはロマンチシズムとリアリズムとの相克のような、あるいは宮台自身の記事によれば「宗教的世直しの不可能性と不 可欠性」のようなものかもしれない(ただ、この頃はその矛盾性こそが結論だ、というような書き方をしている))以外はほとんどが質の高い彬々たる文章と 言ってもいいかもしれない。(ただし、昔から宮台を知っている人は、この頃の宮台は論理性や若い頃のエネルギーが感じられないと言っている。僕は昔からは 知らないのでこのことが真なのかどうか調べないと分からないが、これは年を取るごとに保守的になるという傾向を表している。中年期に近づくと人間は往々に して安定を求める傾向がある。村上春樹もこの傾向があると英雑誌に次のように書いてあるから、宮台もちょうど同じくらいの年齢だからそうなのかもしれな い。子供が生まれたのも関係があるだろう。「But as he approaches his 60th year, something is changing in Murakami’s heart. His status as a truly global writer is assured-over 100,000 copies of the English version of his most recent novel, After Dark, have been printed since its release in May-but with the world conquered, and precocious undergraduates from Sydney to San Francisco at his feet, the postmodernist master dismisses the foreign adulation with a tired hand, and finds himself returning to the world of his parents and his birth.」)
姜尚中は、テレビ朝日の『朝生』で田原総一朗の隣に座ってい たやけにしゃべり方が独特の人に興味を持ったのがきっかけで、その後のNHK『私のこだわり人物伝』という番組の再放送で漱石の解説をしていたのを見てさ らに好きになった。宮台もそうなのだけど、なんとなく自分に(考え方で)似ているところがあるような気がするのである。そして、姜尚中が夏目漱石を「私に よく似た人として」と言っているのを見て、「これは!」と思ったのである。(笑)
上の共著として書かれた本というのは『戦争論 妄想論』という小林よしのりの『戦争論』などを批判した本なのだが、 これを借りたのは「宮台真司」の文字が著者欄にあったというだけの理由で(笑)、失礼ながら「姜尚中」という文字と先のテレビで聞いた「カンサンジュン」 という音とはどうしても結びつかなかったのである。だから、やっぱりそれを知ったときは驚いた。そしてこの頃はこういうことがよくあるように感じられる。
つ いこないだ読んだ『殺す側の論理』(本田勝一)の中に、本田勝一とイザヤ・ベンダサンという人の公開討論というのが載ってて、ベンダサンは本田勝一にいろ いろと批判をされるのだけど、ベンダサンの本田勝一(というより日本的なもの)に対する批判というか着眼点のようなものには僕も共感を覚えるところがいく つかあった。その一つが日本教の「謝罪=責任解除」という考え方でこれについては本田勝一とベンダサンの共通意見になっている。
実 はこのベンダサンという人間は、山本七平という人が『日本人とユダヤ人』という本を、偽名を使って出版したときの名前なのだ。 (といわれている。真相は分からないが九分九厘そうだろう、ということになっている) そして、MIYADAI.comにも山本七平という名前が出てきたから、僕は少なからず驚いたのである。よくよく考えれば、山本七平はあまりにも有名で宮 台が知らないはずはないのだから、これも当然と言えば当然なのだが、こういうことはこれに限った話じゃなくて結構あるから、いろんなことを調べたりして 知っていくことによって、そういう様々なことが繋がっているんだ、ということが分かると少なからず驚くし、同時にうれしい。(というのも、山本七平(ベン ダサン)が『日本人とユダヤ人』を出してものすごい有名になったときに僕はまだ生まれてなかったから、僕はこの人を知らなかった(『殺す側の論理』ではじ めて知った))
滝川クリステル、葉山エレーヌ
- 2007-12-21 (金)
- 思ったこと
http://plaza.rakutenco.jp/annakaharuna/diary/200710020000/
滝 川クリステル別に良くないだろ~…。劇団ひとりも滝川好きだって言ってたけど、どうしてそんなに人気があるんだろう。あのニュース番組の無機質なしゃべり 方がイライラするんだよね。テレビ東京の女もそうだけど、感情が端的にないから途中でいきなり早口になったりしてどもりになったりする。(笑) →→→↓↓みたいな。(笑)
それに比べたら葉山エレーヌの活発溌地な感じの方がずっと良いと思うんだけどね。運動神経良いし、明るいし、細かいところこだわらなそうだし。
だけど、いずれの議論も本来女子アナに関係ないし。(笑) フジテレビの女子アナ戦略的な風潮がどのTV局にも波及していったんだね。 こうやってコメントしてるところがすでに時代の流れなのかな。
「往還する」
- 2007-12-16 (日)
- 文学・日本語
いまでは「往復する」という表現が一般的ですが、同じような意味の言葉に「往還する」という言葉があります。「還」は一巡りする、帰るという意味がありますが、昔は行ったら一巡りして帰ってくる、というのが一般的だったのでしょうか。ほのぼのしていて良いですね。
msearchを導入しました
Geomexca.orgのサイト内検索にmsearchを導入しました。いままではGoogleを利用していましたが、これだとサイト内のhtmlファイルがインデックスされていないと検索されませんでした。つまり、新しくアップしたページや更新したページのデータが反映されませんでした。
このmsearchは定期的にインデックスを更新してやれば即座に反映されるだけでなく、検索結果をサイト内に表示できるため、Googleに比べると圧倒的に強力です。
msearchはNamazuを ベースに開発されたものなので、Namazuの方が数十万単位のファイルを検索できるなどmsearchに比べて強力ですが、インストールが簡単でないの と、そこまで強力な検索システムは必要ないのとでmsearchを導入しました。これでも非常に優秀でよく働いてくれます。
HTMLの文法違反が結構多かったのでそのへんを修正した後、Geomexcaにも合うように修正しました。導入自体は非常に早くできたのですが、その修正に2、3時間かかってしまいました。(header.jsとの関連なども含めてですが…) ^^;
「~嫌わず」 … 谷崎潤一郎
今日の朝ズバッ!で、銃乱射事件について元警察庁かどっかに勤めてた老齢な人がコメントしてた時のことだけど、「辺り嫌わず乱射すると言ったような事件は日本では珍しいですね」と言っていた。
僕はこの表現が好きで、僕がそう思ってるだけかもしれないけれど、今どき「~嫌わず」っていう表現はあまり使わない。たいてい、辺り構わずとか所構わずっていう表現を使うと思う。だけど、谷崎の『少年』とかに「所嫌わず」って出てくるように、何となく文学的な感じがして良いんだよな~。(笑)
というか、谷崎が使ってるから良いっていうのもあるかもしれない。谷崎は下品な言葉も使うんだけど、その俗っぽい表現の中に幽玄なくらくらするようなせかいがある。だから逆に、その俗っぽさが逆説的に洒脱な文章になってる。
所嫌わずの他には、底気味悪いっていうのがそれに入る。普通薄気味悪いとか不気味悪いって言うと思うんだけど、底気味悪いっていう音がやっぱりなんとなく文学的に感じられる。(あくまで文章としてという意味だけど)
僕が志賀直哉のどこが良いのか全く理解できないのが何でか、Wikipediaの谷崎のページを 見たら分かった。志賀直哉と谷崎潤一郎は対極にいるんだ。 志賀直哉の文章は簡潔で私小説。谷崎の文章は修辞的で物語。志賀直哉の文章を読んでも、だから何?って感じで、わがままなやつだなーとか昔はこんな感じ だったのかとは思うけど、作品としてのおもしろさは微塵も感じられない。それに引き替え、谷崎の小説は本当にそれで別次元の世界を表してるような幽玄さ と、よく言われる旺盛な筆力が圧巻で、僕は分けても『少年』のマゾヒズム的な世界と少年の恍惚とした世界観との融合が大好きで、読んでると本当にくらくら する。これを初めて読んだときに、陶酔とか心酔という言葉の意味を初めて理解した。
志賀直哉の簡潔な文体自体は僕も嫌いじゃな いんだよね。よく「推敲を重ねた直哉の文は・・・」なんて言われるけど、話自体がもう少し含蓄のあるものなら「枯淡」っていう表現にもなるのかもしれない けどね。(使い方違うかな?) まあ、あれだけ評価されているわけだから、きっと底知れない良さはあるんでしょう。ただ、僕にはよく分かりません。
「仙吉が籠の上から、あわや小便をたれそうにしたので、信一は用心籠の真下に廻り、有り合う竹竿で籠の目から仙吉の臀(しり)だの足の裏だの、所嫌わずつっ突き始めた。」
『少年』
Googleは成功してるね
言わずと知れたGoogleだけど、やっぱり賢いね。
い まもニュースとか見てて思ったけど、Googleが公開したGoogle EarthとかGoogleマップなんてとてつもない仕事量だから、普通に考えたらで作ったものを公開するなんてバカだと思うけど、ニュースで使われま くってる。そのたびに「Google」のロゴが入るわけだから、インターネットなんかやったことないおじいちゃんとかでも「Google」という文字を見 る。それがどの程度影響するかは分からないけれども、とにかく何度も見られるわけだから企業策として成功してるって言っていいよね。やっぱりすごいね。株 買いたい。(笑)(相当高くなってるだろうけど)
杏ちゃん
- 2007-12-14 (金)
- 思ったこと
ファッションモデルの杏ちゃん(渡辺杏)は良い!(笑)
凛とした表情やときどきそこから漏れ出る微妙な脆さのあるかわいらしい笑顔もすてきなんだけど、なにより歌が上手い!(笑) そして、考えがしっかりしてる!これが良いね~♪♪
ガッキー
- 2007-12-10 (月)
- 思ったこと
ガッキー、トーク下手すぎー。(笑) デビューして最初の方はしょうがないけど、そろそろ空気に合わせてトークできるようにしないと「傍ら痛し」って感じになっちゃう気がする。「朴訥」っていうのは褒め言葉だと僕は思ってるんだけど、芸能界はそれじゃあダメなんだよなー。
金はあるところにある…
- 2007-12-07 (金)
- 思ったこと
◆ 小さなライオン像、史上最高値64億円で落札約5000年前のメソポタミア文明時代につくられた手のひらサイズのライオン像が5日、米ニューヨークでオー クションにかけられ、5716万ドル(約63億6000万円)の高値で落札された。ロイター通信などによると、彫刻としては史上最高額を更新したという。 落札者は明らかにされていない。 (asahi.com)
はぁ、これを見ると金はあるところあるんだなーと思いますね。我々は年給500~800万あたり、どらくによれば年収300万を維持することさえ厳しい人たちまでいる。
この前やっていた太田光の私が総理大臣になったらで、誰かが「金のある大企業の税金緩和を廃止して数パーセント(といえど、ものすごい金になる)上げれば年金をすべて税金でまかなうことは可能」と言っていましたが、僕は大企業じゃないからどんどんこういう政策は進めてもらって良い。アメリカ人ジャーナリストのケビン・クローンというバカが、「そんなことやったら資本が海外に逃げますよ!」と言っていたけれどその程度のことで日本という国の有意性が薄れるような企業ならとっとと海外に行ってしまえば良い。と僕が思っていたら同じようなことを言った人が番組内にいました。(笑)
一 方で明日の食費とぼんやりとした将来の家計を心配して日夜働く人がいる、一方で8.3センチの石像に64億円という金を払う人がいる。僕がいつも不思議に 思うのはこの人はどうか分かりませんが、ビルゲイツもそうでしたが、何でやることがないなら大金を運用して格差の低減とか慈善事業とかをしないんでしょう か?それもただしないならいいけれど、やめるときに金を慈善事業に寄付したり、あるいは特にやることがないからといって金をつかったりはする。前者ならま あイメージアップを図っているわけですが、本当にそういうことをしたいなら自分でやればいいのに。彼らならできると思うんですけどね。
子供の感性
- 2007-12-02 (日)
- 思ったこと
子供の感性の鋭さには驚く。
昨 日近くの公園に行ったときの話なのだけど、いちょうの木や桜の木などが冴えるような黄色や赤やその中間色で彩られていて本当にきれいだった。この時に元気 の良い小学校三年生くらいの男の子達4人くらいがいて、「次何して遊ぶ?」とブランコをこぎながら相談しあっていた。一人が「おにごっこしようよ」と言っ て、他の二人が「いいよ」と言っていた。残りの一人が「え~やだよ、氷おになら良いけど」と言って、また他の二人が「いいよ」と言ったが残りの一人が「氷 おに4人じゃ少なすぎるよ」と言い出した。
しばらく決まらずにぐだぐだしてたのだけど、その中の一人が
「そうだ、色おにしようよ。色ならたくさんあるんだし」
と言った。 僕はこの時にはじめて秋の公園に広がる鮮明な彩りを明確に意識した。
「色ならたくさんある」この素朴な感性が鈍ってしまうものなんだなと少し悲しい気持ちになった。子供たちの鋭く純粋な感性には驚きとうれしさを感じた。
(追記:2008-3-22)この時に作った俳句を載せ忘れていたのでいま載せる。
秋深み色おにしたる無垢な子ら
