to you

「信じ続けること」はかぎられた人たちにしかできないことみたいだ 悲しいけど
どんなにがんばっても変えられないことはある それも切なくて悔しくて悲しいけど
僕は君を信じ続けてもう自分の願いはどうなってもいいから君さえせめて全うに生きてくれればと思っていたのに
自分の望む形で生きてくれればそれで良かったのに
それさえももう叶いそうにない
だからあのときやめなっていったんだ そんなの古い偏見だって現代的な意見で返されたけど
リベラルな立場に立てばそれに反論はできない
「リベラル」や「客観」を超えなきゃいけなかったのに・・・
でももう遅い あとはもう僕には待つしかできない せいぜい祈ってときどきメッセージを送ることくらいしか
やっぱり彼女にはちゃんとした保護者が必要だったんだ ちゃんとした「大人」が
成長しきれない未熟なおとなではなく 若い頃に悩み抜いた 自分には嘘をつかなかった大人が
もうあとやれることはいくつかしかない
ひとつは彼女にゆだねる方法 これは賭けだ
もうひとつは外部の力を借りること これは彼女はいやがるだろうけどもうそういうことをいってる場合じゃない
やるしかない

Outlook 2007 の自動送受信の時間間隔の設定の仕方

Outlook 2007 で、何分おきに自動送受信するかを設定するには、
画面左のメール・予定表・連絡先・仕事・・・というところが「メール」になってるところを確認して、
上のツールバーの「送受信」ボタンの右の逆三角(▼)を押して、→送受信の設定→送受信グループの定義
を押します
そして「次の時間ごとに自動的に送受信を実行する」にチェックが入ってることを確認し、右側の「分」のところを任意に設定します。

(追記:2010-05-03)ツール→オプション→「メールセットアップ」タブの「送受信」からも同様の設定ができます。

スクランブル江戸4YOU

4/24にぺーさん’s 13という劇団の「スクランブル江戸4YOU」という演劇を見てきました。

大阪の千林大宮というところです。

僕が入ろうと思ってる劇団のOBの人などが中心になってやってる劇団です。

最初はわけがわからなんですが、最後にはちゃんとわかります。

ラストシーンがすごく迫真の演技で感動します。

すごい楽しかったです [m:66]

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Windows7 で Windows Live Messenger をタスクトレイに入れる

このブログでおもしろい記事をみました。

参考URL:Windows7 で Windows Live Messenger をタスクトレイに入れる方法: RV アッガイ.

Windows 7でWindows Live Messengerを実行すると、タスクバーに常駐しウザイんですが、これを上のリンクの方法でアイコンのところに格納することができます。

概略化すると、方法は

  1. Windows Live Messengerの実行プログラムを右クリックしてプロパティを開く。
  2. 互換性タブから「互換モードでこのプログラムを実行する」にチェックをを入れ、「Windows Vista (Service Pack 2)」などを選ぶ。

のようになります。

「FireDictionary」

昔使っていてすごく便利だった、マウスオーバーで英単語の意味が検索できるFirefox用の辞書ツールがあって、Firefoxのバージョンアップにともなっていつしか対応しなくなっていたのですごく残念だったんですが、いつのまにかまた復活していたようなので載せます :smile:

その名も「FireDictionary」。
別途「GENE95」という辞書をインストールして使います(別に辞書はGENE95である必要はありません)。

FirefoxDictionary
GENE95

理想・理念――ふと現状を顧みて

思春期の若い頃は観念的なことや理想・理念に燃えて色々なことを否定してみたり、思い悩んでみたりする。でも結局は身体的なマジックに踊らされて*1、もっと生きることに特化したように生きるようになる。それは全然間違ったことじゃない。でもすごく不思議な気持ちになる。

当時正しいと思っていたこと(正しいとされていたこと)をほとんどの人がやっていないということを考えれば詭弁といえば詭弁だ。ただ今は何の意味もないことでも、当時そういうことを信じてやる、考えるということには意味があるのかもしれない。個人の内なる光となって、与えられた規則としてではなく、柔軟な・生きていく力として、希望*2 として生きていくものなのかもしれない。

ただ、そこのところをやり過ごせるか過ごせないかで、大人になれるかなれないかが決まってくるんだろう。簡単にやり過ごせる人はすぐに大人になれるし、簡単にやり過ごせない人はなかなか大人になれない。

それをやり過ごせられる(自分で認められる)時っていうのは、少なからず社会(周り)から認められたときなんじゃいかと思うんだけど、その認められなくちゃいけない度合いっていうのは人それぞれで、それが極端に高い人は苦しむんじゃないかなぁと思う。でもそれは裏を返せば自分の自信の無さか、現状(自分自身も含めて)に満足していないっていう証拠でもある。

そう思うとすごく弱気になるけど、それは何かに燃え続けられるってことだから、変わっていけるチャンスがあるってことだ。それが生長とは限らない。ただ、僕は多様性(diversity)とはどれだけ変化できるか――どれだけ変化を体験できるか――だと思っているから、そういう意味ではまだチャンスがあるということもできる。

*1 決して悪い意味ではない
*2 希望を実現(創造)していく力

最近

あー、入試終わってからずっと東工大の問題(数学)やりたいと思っているんですが最近忙しくてぜんぜんやれてません [m:78]

はやく片付け終わらせてやりたいなー :cry:

lenovo

IBMがlenovoに変わってから初めてThinkPad(X200)を買いましたが、lenovoはネットで調べる限り発送に関してものすごくいい加減らしくすごい心配していたんですが、さっきlenovoからメールが来てて、とりあえずバッテリーは発送されたそうですw
問題は本体がいつ発送されるかですね(今「生産中」となってる)
クレジット決済の不備で土日を挟んで2日遅れたので、明日中に発送されればちょうど2日遅れなので予定通りなのですが。。。

移行

大学に受かったので、これからは時間もつくれると思うので、今まで静的なページだったGeomexcaのサイトをWordPress化してこのブログと統合しようかと思います。すぐにではありませんが、ちょっとずつやっていきたいと思っているので、URL変更および移行の際の表示の不具合があるかもしれないのでご了承ください。

そのためにはまずWPのテーマの勉強をしないといけませんね^^;

ちょっと驚いた

ちょっと驚いた。

伊藤整の『典子の生きかた』という本を読んでるんだけど、この本で紹介されているというか、主人公でありテーマそのものである速雄と典子のやりとりや感情などが、あまりに僕が考えてきたことと重なっている。何に驚くって、僕が最近自分のこととして自分自分って考えていた時期からようやく少し落ち着いて、それは未だに僕の中では大きな問題ではあるのだけれどももう少し客観的に距離を置いて見られるようになった考え方、見られるようになったことで手に入れた捉え方をほぼそのまま書いてあるのだ。たとえば引用するなら次のようなところがある。他にも感情に訴える部分は随所にある。

「同じ年位の娘たちは、僕たちを待っててくれやしない。僕たちは、まだまだ世間に出ないでいるけど、娘たちは、そうだろう、すぐに娘の限界ってようなものが来てしまう。そこまで来ると、どんどん嫁に行ってしまう。だから、きっと、僕たちが一緒に同じ村で育って、同じような感情を持ち合っていた、つまり僕たち男の子にとってはとりかえようのない女は、僕たちとは一緒にならないようになっている。」
『典子の生きかた』

そしてもうひとつは、典子が僕の知ってるある女の子にものすごくかぶるのだ。それもかなり細かいところまで。もちろん時代設定がちがうから変な部分もたくさんあるが、だいたいおおよその輪郭はかさなる。そして、もう言ってしまったが、これが書かれたのは一時代前(僕からすれば)、昭和40年である、ということ。つまり、僕が今感じているある種のどうしようもなさと、当時(かあるいはそれより少し前)の著者が想定した・捉えたどうしようもなさというのは、同じものでないにせよ、非常に似たある種のどうしようもなさとして彼らに、僕らに共有されるものであろう、と思う。もちろんそれを突き詰めて考えていけば、社会の構造が、雇用条件が、システムの必要とする形で性愛は形成されるから、自分の実存と交換可能性が…、のように言えるわけだが、僕がいま言いたいのはそういうことじゃくて、そのきもち・感情の問題だ。そのどうしようもなさというものに付随する得も言われぬ感情が、様々なところで通底しているように思われてならない。そしてそれは、現在のさまざまな部分で、という意味だけでなく、少なくとも35年という時は超えて通ずる、ある種の感情、僕らを束縛する不条理、とも呼べるものなのではないか、と思うわけである。

とりあえずまだ途中だから、まずは最後まで読んでみよう。それからまた書きたいことがあれば書く。